目次へ ///お好みの記事にアクセス///
ルイーズ湖 hi_naka 氏 撮影
今、教育再生が一大テーマとなっている。
また、教育基本法改正(改悪?)が今国会の大きなテーマである。
突然の履修不足問題の報道。
全国的な広がりを見せて、今や大問題になっている。
おそらく履修不足はこれまで何年間も裏で行われていたことだろう。
なぜ今になってキャンペーンが張られたのだろうか。
私はどうしても教育再生論議と結びつけて考えてしまうのだ。
「今の教育は腐っている」→「教育再生が必要」→「教育基本法改正」こういう図式を定着させるための裏の意図を持った仕掛けでないことを願いたい。
しっかり見極めてほしい。
学校選択や全国一斉学力テストなど競争原理の導入が今、教育再生の柱になっているが、高校履修不足問題の根っこは、「有名大学進学を競う」ゆがんだ競争から生じているのではなかったか。
「教育基本法 第 1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
この教育基本法の精神を尊重した教育が実際に行われていれば、高校の履修不足問題は起こらなかったのである。
教育基本法の精神(教育の目的)をないがしろにして、大学受験で成果を上げることのみに教育の目的を矮小化したところから問題は生じているのだ。
「今の教育は腐っている」→「教育再生が必要」→「教育基本法改正」こういう図式に単純に乗らないように我々はよくよく気をつけなければならないと思う。
また、これまで毎年の恒例行事として出身高校別東大合格実績数を、販売促進の手段として掲載してきた週刊誌がいくつかあるが、このような週刊誌の編集方針も深く再考してもらいたいと思うのである。
「我々は世間の関心に応えているだけだ」と言うのであろうが、世論を作っているのもマスメディアであることを忘れないでほしい。
一部のマスメディアは教育を受験競争だけに矮小化することを煽ってはいまいか。
このブログを応援していただける方、クリックしていただけたら嬉しいです。
ランキングサイトが開き、投票されます(それぞれ1日1クリック有効です)
↓ ↓
hi_naka 氏 撮影日本ハムファイターズ優勝おめでとう!!
特にファイターズファンという訳ではないが、プレイオフからファイターズを応援してきた。
夕張市の財政破綻など暗いニュースの多かった北海道に根付き始めたプロ野球チーム。熱烈なファンを魅了してきたファイターズに魅力を感じるのだ。そして
弱小球団を率いて3年で日本一まで導いたヒルマン監督。今年の好成績は、緻密な野球、セオリー通りの野球にあると言われている。
アメリカではやらなかったバントで走者を送る手堅い野球。今日も同点はスクイズだった。
そして投手力を中心とした固い守備。
そして、ダルヴィッシュなどの若い力。金子などのベテランが支える。
球場のファンと一体となった、たたかい。
華やかな新庄の笑顔。…優勝決定の瞬間を前にした新庄の涙、涙、涙
1人ひとりの選手、みんなの思いがつながっていく。札幌ドームは最高潮。
力強く前進する学校も同じだと思う。それは…
保護者や地域の方々は、球場で選手と一体となって声援を送るサポーターといえよう。サポーターの声援があってこそ、選手は実力を最大限発揮するのだ。
そして、学校改革は、スタンドプレーや奇策では有り得ない。地道なセオリー通りの一つ一つの努力の積み上げが、期待に応える学校へと前進していく力なのだと思う。
そして、新庄の笑顔に象徴されるように、教師たちの笑顔が子どたちにとってどれだけ学校を魅力的なところにするか、笑顔の力も忘れないようにしたい。
このブログを応援していただける方、クリックしていただけたら嬉しいです。
ランキングサイトが開き、投票されます(それぞれ1日1クリック有効です)
↓ ↓
目次へ ///お好みの記事にアクセス///
6年生の子どもからこんな手紙をもらった
いわく
「ランドセルでなくてはいけないのですか?」
「いけないとしたら何故ですか」
とのこと。
小学校の「きまり」にはランドセルでなくてはならないということは書いていない。しかし、教師によってはかなりこだわりを持っている。
ランドセルが壊れたり、身体が大きくなってどうしても使えないなら仕方がない。
しかし、多くの場合、まだ使用できるのにランドセルを使いたくないという高学年児童の意識には、背伸びしたいという気持ちが潜んでいるのだと思う。
ちょっと大人びてみたい…そういう気持ちがランドセルを敬遠させる。
それはまた小学校ではミーハー的な「浮ついた気持ち」と結びついている場合が多い。
こうした匂いを心配する担任は「ランドセルでなければいけない」と指導するのである。
この手紙を読んだとき、私は以前の高校生の娘の文化祭の様子を思い浮かべた。
この高校は、原則として服装は自由なのだ。
制服はない。
しかし一応「標準服」が2種類ある。
文化祭に行ってみて驚いた。
私服姿は1割もいなかった。
娘に「文化祭だからか?」と聞いてみた。
普段からそうだという。
どうやら、服装は自由と言われると却って、高校生ブランドを大事にしたいという気持ちが働くらしい。
胸を張って高校の制服を着られるのは今だけなのだと言うことを自覚しているからなのだろう。
そこでランドセルである。こんな内容の返事を書いてみた。
小学校に入学するに当たっては、両親や祖父母はランドセルに特別な気持ちを持っている。
入学のプレゼントにランドセルを贈る祖父母もいる。
ランドセルは小学生の象徴であり、ランドセルを背負うようになった子どもや孫に大きな感慨を抱くのだ。
ところで、子どもの立場からすると、高学年ともなれば、自分たちは低学年のガキとはちがうという気持ちも出てくるだろう。
いかにも子どもっぽいランドセルなんかはごめんだ、もっとファッショナブルなバックを持ちたいと言う気持ちもわかる。
しかし、ランドセルを背負って何の違和感もないのは小学生の特権である。
卒業してからランドセルを背負ったら変な目で見られるだろう。
人生の中で、ランドセルを自然に背負えるのは今だけだとしたら、もっと今という時期を大事に思いっきり堪能してほしい。
そしてランドセルに込められた周囲の人の思いを大切に出来る人になってほしい。
これはもちろん、実際には、子どもにわかりやすい言葉で書いたのだが、
子どもから
「よくわかりました。ランドセルを大事にしようと思いました。卒業までランドセルを大切に使います。」
という返事が来た。
一応、役目をはたすことができてホットしている。
小学校にはこのほかにも、○鉛筆 ×シャープペンシル ×漫画の持ち込み ○文学作品など学校によっていろいろな不文律がある。
それぞれ子どもの発達段階に応じてきちんと納得させることのできる説明が必要であろう。
このブログを応援していただける方、ランキングアップへご協力ください。皆様のクリックが、ブログを書くエネルギーに転化します。^ ^
ランキングサイトが開き、投票されます(それぞれ1日1クリック有効です)
↓ ↓
